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「錆びた鉄条網を取り払って」特別展
Remove the Rusty Fences
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展示場所:大韓民国歴史博物館3階展示室
展示期間:~2020年12月31日(木)
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- 観覧料金:無料
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観覧時間:10:00~18:00
水曜日は午後9時まで開館(観覧終了1時間前まで入場可能)
※新型コロナウイルス感染症の流行により、首都圏の国公立文化施設は休館中
- 観覧に関するお問い合わせ:02-3703-9200
展示の開催にあたって(Opening Special Exhibition)
今年で70周年を迎える韓国戦争といえば、皆さんは何を最初に思い浮かべますか? 1950年6月25日明け方の戦争の始まり、仁川上陸作戦や中国軍の介入など戦闘に関する話、長きにわたって続いた休戦交渉と熾烈な交戦状況などが思い浮かぶかもしれません。韓半島のあちこちで行われた虐殺など、民間人の被害を思い浮かべる方もいるでしょう。このようなおぞましい状況を直接体験していなくても、軍人であれ民間人であれ当時を生きていた人々は3年間の戦争、そしてその後の厳しい月日に耐えなければなりませんでした。
大韓民国歴史博物館の特別展『錆びた鉄条網を取り払って』は韓国戦争に関するもう一つの物語です。その中でも、普通の人々の物語をお届けしたいと思います。私たちが準備したこの物語には、たくさんのエピソードがあり、70年かけて錆びた鉄条網が高く積み上げられています。戦乱を避けるために家を離れて経験した涙ぐましい苦労話、虐殺により家族・友達・知人を失った話、戦争中にも続く様々な人生の話、何かを失った人々の戦争前後の話が描かれています。
胸の中の傷を癒やす最初の一歩は記憶を理解することといいます。今回の特別展では戦争を実際に経験したおばあさん、おじいさんの胸の中にある傷を理解することで、皆さんの心のしこりを少しでも癒やすきっかけになることを願います。また、今回の特別展では戦争の記憶を、戦争を経験していない世代に伝えようと思います。戦争が銃を持った人々の話だけではなく、私たちと同じ普通の人々の人生をどのように歪ませたのかに焦点を当てています。そしてこの特別展により、平和の必要性をもう一度確かめるきっかけになればと思います。
- 1部:濃くなる38度線The widening 38th parallel
- 何もなかった場所に突然杭が埋められ、線が引かれた。北緯38度を越えるという理由からだった。最初は簡単な身分証の確認をすれば行き来できた38度線は、次第に自由に行き来できない境界線へと変わっていった。そうして人々の生活も変化した。人々は南と北、もしくは資本主義と社会主義、どちらかの選択を迫られた。選択を拒否した人々は命を賭けて南へ、北へと38度線を越えた。
- 2部:1950年6月、戦争と引き離される家族June 1950, war and scattered families
- 1950年6月25日、戦争は日常のような顔をしてやってきた。人々は38度線でそれまで何度も繰り返されてきた交戦だと思い、すぐに終わるだろうと考えていたが、戦争は3年も続いた。南へ向かう国軍の敗残兵と人民軍の姿、そして戦況と爆撃の噂があちこちから聞こえ、人々は故郷を捨てて避難した。避難しなかった人々は反逆に加担した者という烙印を押され、国連軍が領土を奪い返した後に苦労を強いられた。すぐに終わるだろうと思った戦争が続き、家族は散らばり、互いの安否もわからないまま当てのない再会を待ち望んでいた。
- 3部:村へ向かった戦争War Hits the Village
- 広い野原の東端まで、昔話に出てくるような田舎の村も戦争から逃れることはできなかった。戦争が村を襲うと、それまで一見平穏なように見えていた村が、互いに対する虐殺と報復の空間へと変わった。地主と小作人、両班と庶民、上の村と下の村の長年の恨みが触媒となった。国連軍が領土を奪い返したことで南の地域は戦争から抜け出したが、山に入ったパルチザンの遊撃戦と軍警の討伐作戦が行われ、虐殺と報復が繰り返された。そしてそれは1953年7月27日の休戦協定後にも続いたのだった。
- 4部:それでも生きていくということSurvival in spite of it all
- 戦争で国土のすべてが荒廃化したが、それでも生きていくためには再び土地を耕し、建物を建てるしかなかった。避難していた人々は故郷に戻るか、または新しい定着地を開拓しながら再び日常を作っていった。人々は戦争の苦しみにうめきを上げながらも、食べて、寝て、学びながら生きていった。戦争のさなかで選挙も行われた。そしてついに休戦の知らせが届いた。戦場に向かっていた人々や避難していた人々が戻ってきたが、戻れなかった人々も多かった。
- 5部:残された人々People left behind
- 残された人々にとって戦争は終わっていなかった。怪我をした人々、戦争で夫を失った女性家長、親を失った孤児、家族を拉致された拉致被害者家族、南北に家族が散らばった離散家族は戦争のような人生を生きることになった。彼らは生き残るために、家族を養うために、別れた人に再会するために70年を耐えてきた。残された人々にとっては今日も70年目の戦争中なのだ。
- 主な展示資料
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1. 国民証 大韓民国歴史博物館 1949
2. 北朝鮮公民証 時間旅行 1948
3. 南下した時に持ってきた箱 大韓民国歴史博物館 1948年より前
4. 自由日記1950年 大韓民国歴史博物館 1950
5. 韓国軍の軍服 大韓民国歴史博物館 1950年代
6. 北朝鮮人民軍の軍服 大韓民国歴史博物館 1950年代
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7. 京畿道の道民証 大韓民国歴史博物館 1951
8. 韓国戦争スケッチ1950年9月屋根裏部屋にて身を隠す 国立現代美術館 1950
9. 韓国戦争動員対象者登録証明書 大韓民国歴史博物館 1953
10. チャン・ギホンの避難日記 大韓民国歴史博物館 植民地からの解放以後
11. 韓国戦争避難記 大韓民国歴史博物館 1951
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12. 大韓青年団舒川郡の団員証 大韓民国歴史博物館 1951
13. 戒厳地区の住民に告ぐ 大韓民国歴史博物館 1954
14. 智異山特報 第3号:仲間たちの知らせ 大韓民国歴史博物館 1954
15. 避難民証明書 大韓民国歴史博物館 1950
16. 韓国銀行券の紙幣 大韓民国歴史博物館 1950~1960
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17. 済州地域の国民学校の生徒が描いた絵の課題 大韓民国歴史博物館 1951
18. 政府が行った世論調査の文書 大韓民国歴史博物館 1952
19. 戦死通知書の様式 大韓民国歴史博物館 1952
20. 傷痍軍警の慰問公演後の記念撮影 堤岩里3.1運動殉国記念館 1950年代
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21. 拉致被害者ハ・ギョクホンの妻の日記 6.25戦争拉北者記念館 1959~1999
22. 離散家族イ・ヨンロクの「豆満江に行く」詩画の額縁 イ・ヨンロク 2000年以後
23. 軍事境界線の標識 時間旅行 植民地からの解放以後